姑の友人夫婦の家へお邪魔してきました。

家に着くと、数人の友人やご夫妻のお子さんもいらして賑やかにカ-ドをしたり、談笑したりしています。そんな中、ご主人だけが浮かない顔をしていました。私と美術の話しをしていたら、急に自分の病気のことは知っているんだろ?と言います。

 

ご主人は長らく癌を患っています。食べることが好き、人と会うのも好き、趣味も人脈も幅広く、人生を謳歌していた方です。今は流動食のみ、体も思うように動かない。年末には、こんな自分が新年を迎える意味なんてあるのだろうか?と鬱になっていたそうです。姑やご近所さんたちは、そんなご主人を思って、たびたび家を訪問してカ-ドをしたりおしゃべりをしたりしています。でもご主人の気分は晴れない。

 

私は、ご主人はなんて恵まれている人なのだろうと思ったんですよね。自分のために、皆が心配して集まってくれる。これって、ご主人の人徳。そういえば、随分前に昼食に呼ばれた時、一緒に食事をした初老の男性がいました。後で姑から、彼はご主人宅で働いていて、使用人のような立場の人だったと聞きました。でも、ご主人は彼を友人のように遇していました。そういった分け隔てをしない人です。こんな方ですから、今ご主人が苦しい思いをしていると知って、ほうぼうから人が訪れてきます。

 

人は誰でも死にます。私はこのご主人は素晴らしい人生を送ってきて、恐らく晩年となるこの時期に、多くの果実を享受していると思うのです。

 

昨今、死について語ること、死について考えることがタブ-になっている気がします。タブ-というか、縁起が悪いから避けるというか…。でも死を考えるから生が輝くということもあります。ふと、もしご主人がこの誰もが経験する死というものを元気な時に語り、考える時を持てていたら、この恵まれている晩年を素直に喜びを持って享受できているのではないか…。私には、このご主人のような恵まれた晩年は…期待できないですけれど(笑)、でもどんな状況にあっても、それはそれで明るく受けられる気もしています。 なお